阿部定さんの印象(坂口安吾)

 阿部定さんに会つた感じは、一ばん平凡な下町育ちの女といふ感じであつた。東京下町に生れ、水商売もやつてきたお定さんであるから、山の手の人や田舎育ちの人とは違つてゐるのが当然だが、東京の下町では最もあたりまへな奇も変もない女のひとで、むしろ、あんまり平凡すぎる、さういふ感じである。すこしもスレたところがない。つまり天性、人みしりせず、気立のよい、明るい人だつたのだらうと思ふ。 ・・・  僕がお定さんに、なんべん恋をしましたか、と云つたら、たつた一度なんです、それがあの人なんです、三十二で恋なんて、をかしいかも知れないけど、でも一度も恋をしないで死ぬ人だつてタクサンゐるんでせう、と訴へるやうに僕を見た。然し、この恋といふ言葉は、お定さんの自分流の解釈で、お定さんは男が好きだつたことは少女のころから有つたのである。けれども、いつも騙された。相手がいつもダマすつもりで近づいてくる男ばかり、いかにも女らしい、そして人のよい、かういふタイプの人々は、だいたい男にダマされやすいタイプぢやないかと私は思ふ。  つまり好きな男に好かれた、それをお定さんは恋と云つてゐるので、それがあの人一人であつたといふ。思へば気の毒な人なんであるが、又、お定さんの言ふ通り、でも恋を知らないで死ぬ人だつてタクサンあるんでせう、といふ。その通りである。好きな人に好かれる、ある意味では、そんなことはメッタにないのかも知れない。だから、お定さんがどんなに幸福で、夢中であつたか、名誉も金もいらないといふ一途な性質のものであつたことがうなづける。